子どもを持つ意味ー不安だった私が腑に落ちたシンプルな言葉とは

子どもを持つのが不安だった私

子どもを持つか持たないか、それは本当に人それぞれの考えだし、年齢も身体的なこともある。

何が正しいということはない、と思っています。

まして、どんな考えも人に押し付けるつもりはありません。

センシティブな話題なので、この記事だって、目にしたくない人には目にしてほしくない。


ただ、子どもを持つことに漠然とした不安を抱えていた私は、ある言葉をきっかけに、こんなふうに考えるようになった。

と、ただの主婦が、ただただ思ったことを書いています。



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若かりし頃に思っていたこと

思い返してみれば、私はきっと絶対に子どもを産まない方がいいんだ、と、思っていた頃がありました。

一番そう思っていたのは、中学生とかそれくらいの頃かな。

あの頃は、反抗期の真っ最中。自分自身のことや、自分と親との関係が、処理しきれていなかったんだと思います。


大人になるにつれて、自分自身も成長し、やっと感謝の気持ちも生まれ、親を客観的な目でも見られるようになり、自分の問題と親の問題を区別できるようになり。

自然と、私は絶対に子どもを持たない方がいいんだ、とは思わなくなりました。


かといって、子どもを積極的に欲しいと思っていたわけでもありませんでした。

例えば、いつか絶対に子どもを持ちたい、とか、未婚だとしても子どもが欲しい、とか。そういう感情はなかったです。

そもそも、どうしたら一人でも生きてだろうか、と考えながら進路を選んでいたし、結婚に対しても、いい人がいたらいつかするかもな〜くらいのゆるい気持ちでした。


結婚して現実味を帯びた子どものこと

そんな私が、縁あって30代後半に結婚し、子どもを持つか持たないか、という問題が現実的なものとなりました。

夫は、結婚前から子どもは欲しい派。

私は、年齢もあるしどうなるか分からないよ、と思っていたし、そのように伝えてありました。

今振り返ってみると、確かに、どうなるか分からない。とも思っていましたが。

それ以上に、不安も大きかったように思います。

もしも欲しいと思ったとして、でも出来なかったらどうしよう。それも不安だった気もするし、

他にも漠然とした不安もありました。


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子どもを持つのが不安だったわけ

子どもってみんなかわいいと思っていました。

子どもは世の宝なんだ、というような表現を若い頃に聞いて、それからずっと、そうなんだと素直に思っていましたし。

学生時代のアルバイトで接した、いろんな年の子どもたちは、みんなそれぞれとてもかわいかったし、友人の子どもたちもみんなかわいい。

全然知らない、道ですれ違っただけの子どもだって、かわいいなぁと思っていました。

でも、どうして不安に思っていたのかというと。

こんなことが、漠然とした不安を感じていた理由だったと思います。


自分に育てられるのだろうか

これまでに接してきた子どもたち、みんなかわいかったけれど。

だけどきっと、短時間しか接しないから、単純にかわいいで済んでいるんだろうな。

育てるのはきっと大変なんだろう。育児ノイローゼなどの記事も読むし。

人を育てるなんて、責任も大きいし。


何となく、漠然と、そう思っていました。

犬も、自分一人で責任持って飼える自信がなくて、飼わなかったくらいです


子どもは私の元に生まれてきて幸せなのだろうか

産む前から考えたところで、答えは出ない問いなのですが。

もし子どもが私の元に生まれたら、その子は私のことをどう思うのだろうか。

私みたいな親じゃなければよかったのに。そんなふうに子どもが思ったとしたら、申し訳ないな。

などと、そんなふうにも思っていました。


大変な世の中になったりしないだろうか

この先が生きやすい世の中か、分からないですよね。

今も、小さいものから大きいものまで争い事は絶えないし、少子化問題、環境問題、経済格差の問題、などもある。

戦時中にだって子どもは生まれるのだし、いつの時代も不安はあるはずなんだけど。

それでもやっぱり、大変な思いをさせるかもしれないし、という不安はありました。


経済的にも大変と聞くから大丈夫だろうか

そして、経済的な問題もあります。

結婚当時、私はアメリカでの労働許可を持っていなくて、専業主婦になりました。

たとえ働いたとしても。

特技も資格もなく、英語にも自信がない私。そんな自分ができる仕事で、たくさんのお給料をもらえるとは思えない。

ここは物価の高いニューヨークなので…。子育てにかかる費用もとても高い、という噂を聞いて、経済的な面でも不安でした。


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子どもを持つ持たないについて腑に落ちたシンプルな言葉

そんなあるとき、日本のテレビ番組『家、ついて行ってイイですか』を見ていました。

その中に、奥さんを若くして亡くされた男性が出てきて。

短い時間テレビで拝見しただけなのに、まだ小学生くらいの女の子を、一生懸命たくさんの愛情を持って育てられている様子が見てとれました。


その男性が、娘さんに対して思うこととして、「いつか命をつないでくれたらいいかな」というようなことを話されていたんですよね。

その言葉を聞いて、私は、ハッとしました。

確かに。ただそれだけでいいんだ

男性の言葉がじわじわと自分の中に溶け込んでいって、何だかすごく腑に落ちたのです。


子どもを持つ意味、持たない意味。

それは分からないけれど。

どうなるかわからないけれど、命をつなげたらつなぐ、つなげなかったらそれはそれで。

もう高齢だったので

頭で不安を考えるばかりではなく、ただなるようになっていけばいいのではないだろうか。

あの男性のおかげで、頭でっかちに考えることはなくなりました。


子どもを持つ意味持たない意味

どうしても子どもが欲しい。

どうしても子どもはいらない。

私はどちらでもなかったので、ただただなるように、ということが受け入れやすかったのかもしれません。


「そうか、命を繋ぐ、それだけでいいんだね、繋げなかったらそれはそういうことなんだろうし」

そんな話を夫にしたら、「何を当然のことを言っているんだろう」とキョトンとしていました。

私は、時に、考えすぎるタイプなのかもしれません。それか、単に怖がりなのかも。

基本的には適当なところも多い性格だと思うんだけど…


子どもを持つ意味持たない意味。

それは私にとって、生きる意味と似ているかもしれません。

正直、よく分からない。

でも、生きているだけでいいなと思うし、いつか、意味が分かる時が来るのかもしれないし、来ないかもしれない。


人生の意味は自分の中にない


これは、養老孟司さんの『神は詳細に宿る』という本の中で紹介されていた、『夜と霧』に書かれていたという言葉です。

私なりに解釈するならば、子どもを持つ意味、持たない意味だって、そうなのかも。そんなふうにも思いました。

的外れかもしれませんが…


子どもを持つにしても、持たないにしても。

考えることも大切だけど、今あるものに感謝して、成り行きに任せて、でも自分にできることは何か、とも考える。

そして、何がどうなろうとも、何事もただ受け入れて過ごす。

単に、そんなふうに過ごしていきたいな、と思うようになりました。

言葉にすると、改めて、本当に普通のことですね…


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まとめ

夫のように、この人は何を当然のことを言っているのだろう、という反応も自然だと思います。

それくらい、当たり前のことといえば当たり前のことだと思うので。

だけど、私は、ちょっとだけ考え込んでしまうタイプだった。


そんな私は、子どもには命をつないでほしいな、というあの男性の一言で、子どもを持つ持たない問題に向き合う気持ちが、ガラリと変わりました。

淡々と話されている中に、とても深いものを感じて。

ちょっと単純すぎるでしょうか

だけど、それくらい、私にとってはシンプルで腑に落ちる言葉でした。


結局、不安に思っていたことが、一つ一つ明確な答えをもって解決されたわけではありません。

ちゃんと育てられる自信があるわけでもないし、子どもが幸せと思ってくれるかも分からない。

世の中はさらに不安定になってきているようにも感じるし。

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それに、残念ながら、急にお金持ちになったわけでもない。

だけど。

子どもと持っても持たなくてもどちらでも、なるようになるし、なるようにしかならないのだろうとフラットな気持ちになった。

自信を持って子育てをしている人ばかりではないと思うし、子どもには幸せと思ってもらえるように、できることをやってみるしかない。

これから先のことなんて誰にも分からないし、お金は上を見ても下を見てもきりがない。

例えばですが、そんなふうに自然に思えて、何でも受け入れようと思えるようになったのかもしれないです。


こんな考え方って、綺麗事のように聞こえるかもしれないし、無責任といえばそうなのかもしれないけれど。

自分なりの正解を見つけてくしかないのかな。

私なりの、今のところの答えはこんなふうです。


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