そこで、ふと思いついて、槇原敬之作詞・作曲・歌の『遠く遠く』の、覚えているところを歌ってみました。
珍しかったからか、ちょっとは聞いてもらえました
細かいところは忘れていたので、その後、改めて歌詞を見直してみました。
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NYのどんなに高いタワーからも見えないふるさと
渡米し、ニューヨークに住み始めた頃は、英語に触れないと、と思っていて。
あまり日本の歌を聴いていなかったです。
そんなこんなで、4年ほど経った頃に、ふと聴いた『遠く遠く』の曲。
(SMILING~THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA というアルバムを聴いていました)
あの時は、電車に乗って、ぼーっと外を眺めながら聴いていたのを覚えています。
別に、ホームシックだったわけでもなく、ただ聴き流していたつもりだったのですが。
どんなに高いタワーからも 見えない僕のふるさと
っていうところを聴いて、何だか泣きそうな気持ちになりました。
ちょうどアメリカの西海岸へ旅行して、
この海のずーーーっと向こうは日本なんだな
って思って、その感覚がとても新鮮だったんですよね。
ニューヨークって海の向こうはヨーロッパ。。それほど遠いところへ来てしまっているんだ
と、気がついてしまった頃だったからかもしれません。
(遅いという指摘はごもっともなんですが。たぶんちょっと鈍いんです。)
それに、こちらで結婚し、生活基盤は完全にアメリカになっていて、多分、当分こちらに住むだろう、そんな状況だったことも大きいかも。
渡米した時は、こちらで結婚するとは思っていなかったので
私の場合、結婚相手は日本人なのでいつかは日本に戻るかもしれないけれど、国際結婚している友人は、どんな気持ちでいるのだろうか、とか。
日本国内だって、田舎から都会へ出ている友人や、結婚して知らない土地に住んでいる人、みんな同じような感覚になったりしているのかな、とか。
そんなふうにも思いました。
どんなに高いタワーからも 見えない僕のふるさと
何でしょうね、このたった22文字の言葉から溢れ出る、せつない気持ち。
遠い昔に、故郷から出ていくなんて考えられない、と話していた友人は何人もいるし、その気持ちもすごく分かります。
「 ”腹を割って” 話せる友達が、大人になってからできるとは思えないし」と話していた友人。うん、すごく分かる。
「だから、大人になってから県外に出て行くのすごいね」って言われたけど、違うんよ、すごいとかはほんとに全然なくて。
ただ、出ていかないと多分自分がやりたいことをやれない。田舎のふるさとも好きだけれど、その気持ちは抑えられない。私はそんなふうだったかな。
でも、県外に出て行くのは、人より遅かったなぁ。
と、昔の自分を懐かしく思い出したりもしました。とはいえ、あの頃はまだ、車で走ればいつでも帰れる距離でしたけれど。
そう考えると。やっぱりニューヨークは遠いです。
日本まで、飛行機で直行便でも14時間。もちろん、もっと遠くに住んでいる人もたくさんいらっしゃるとは思うのですが。
それでも、
- そこに住む理由がある
- 動けない理由がある
- そこだからこそ住んでいる、という理由がある
みんなそんな感じなのでしょうか。
私は、そもそもは「住みたかったから」という単純な理由でニューヨークに住み始めましたが、
- 夫の仕事がニューヨークにあるから
- 子どもがアメリカで生まれたから
そんなふうに、理由は増えてきました。
人任せな理由だけではなく、自分なりの理由も、そのうち見つけていきたいな
理由を見つけるのが早いか、ニューヨークを離れる方が早いか、、どうなることでしょう
ニューヨークは遠いけれど、技術が進歩したら、もう少し短い時間で日本へ帰れるようになるかなぁ。楽しみにしていたいと思います。
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夢をかなえる場所はどこ?
僕の夢をかなえる場所は この街と決めたから
歌の一番最後、ここも泣きそうになるところです。
渡米後4年ほど経った時にこの曲を聴いた、と書きましたが、その時は複雑な気持ちにもなりました。
私は夢破れて、ただのアルバイトの専業主婦になっちゃってたので。叶えようと思って来たけれど、叶えられませんでした。
それでも、家庭を持ち、違う「しあわせのかたち」もあるんだ、と実感しながら生活させてもらっているので、それはそれでよかったのでしょう。(と、いうことにしておきます)
最近は、ここニューヨークで、また違う目標を持ってやっていきたいな、とやっと思えるようになってきたので。
先日改めてこの曲を聞いた時は、”僕の夢をかなえる場所は この街と決めたから” というこの部分も、少し自分に重なりました。
また、次の歌詞は、『遠く遠く』の歌の中に、3回も出て来ます。
遠く遠く離れていても 僕のことがわかるように 力いっぱい輝ける日を この街で迎えたい
3回も出てくるのだから、結構メインなメッセージなのかもしれませんね。
私にはこれほどの気持ちは全くないので、正直、この部分はあまり心に響くことはないのですが。
だけど、こんな気持ちで日本やアメリカ、海外で、ふるさとを離れて頑張っている人も多いんだろうな。
って聞くたびに思います。
これくらいの野望を持てたら、もっとがんばれるのかもしれないですけど。私にはちょっとムリそうです。ぼちぼちやっていきたいと思います。
あ、でも。
” 遠く離れていても私のことがわかるように” とは思わないけれど。
自分なりに、”力いっぱい輝けるように”、そんな自分に近付けるといいなとは思っています。
何でもない日々も、もがいている日々も、いつかキラリと見えるはず
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自分にとって「変わってくこと、変わらずにいること」の意味
昔も今も、この歌をいつ聴いても心に響くのが、
大事なのは 変わってくこと 変わらずにいること
というところ。
初めて聴いたのはいつだったかな。学生時代とか、それくらいだったと思うのですが。
その時に、この歌詞にちょっとした衝撃を受けました。
『変わらないこと、変わっていくこと、どちらも大事』
漠然とですが、
たしかになぁ
と、思って。
その時に、私もどちらも大事にしたい、って決めました。
あれから随分月日は流れましたが、相変わらず、どちらも大事にしたい気持ちは変わっていません。
そういえば、ニューヨークで何年か過ごした後、一時帰国し、学生時代の友人たちと居酒屋に集まった時に。ずっと地元にいる、ある友人に、
「ニューヨークに住んでても、全然何も変わってないなーー」
って言われたんです。
相変わらず私がアホなことを話してたときに言われたので、決していい意味で言われたわけじゃないんですけどね。
でもその時、この歌詞を思い出して、あぁ良かった、って思いました。
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ニューヨークに行って、なんか変わったね、って言われるよりはうれしく思ったんです。
どこに住んでも、いいふうには変わっていきたいけれど、根本的なところ、これが自分だっていうところは、あまり変わりたくない。
ふるさとを出てから、ずっとそんなふうに思っていたのが、ちゃんと出来ているって思えました。
まぁ単純に、何も成し遂げていないから変わっていない、だけかも
アメリカでは自己主張しないといけないって聞くけど、自分を変えるほど自己主張しなくても、全然やっていけてるし。

むしろ、丁寧だな、気遣いがすごいな、って思う外国人を何人も見ました
彼氏なしの独身時代も長かったけれど、その頃も、今も、変わらずに「今は今でしあわせだな」と思う日々を過ごしているし。

そういう意味での根本も変わっていないつもりです
だけど、どうやったら自己肯定感が持てるのだろうか、とか、こんなに何もできない自分だけれど、何かはできるだろうか、とか考えたりして。
より良くなろうとしている自分もいる、とも思っています。
遠く遠く離れた街で 元気に暮らせているんだ 大事なのは 変わっていくこと 変わらずにいること
『遠く遠く』のここを聴くと、元気に暮らせているし、自分もちょっとはがんばれているのかな、と言う気持ちにもなれます。
そして、
自分は変な方向に変わっていないだろうか?
いいふうには変われてきているだろうか?
と、自分を見つめ直す機会をもらっているようにも感じます。
槇原敬之「遠く遠く」の歌詞について思うこと・まとめ
ふるさとに帰ると、いつも「おかえり」って迎えてくれる友人がいます。
実家だけでなく、「おかえり」と言ってくれる人がいること。ありがたいと思うと同時に、彼女の「おかえり」には、いつも心温まる思いを感じています。
コロナでなかなか帰れないけれど、世の中が落ち着いたら早く帰れるといいな。
そして。
ふるさとにいても、遠く離れていても、どこに住んでいようが、それぞれが一生懸命に生きていることに変わりはないから。
私は私で、まだもう少し、ここニューヨークでぼちぼちがんばっていきたいと思っています。
私にとって、『遠く遠く』って、そんな気持ちになれる曲です。
カバーしている人の、こんなYouTubeも見つけました。コメント欄が泣けました。