もう年だし、こんなことはもうやめた方がいいかな
今さら新しいことは出来ないな
私は、年を重ねるにつれて、こんなふうに、もう年だからあれもこれもできない、という閉塞感を感じるようになりました。
ですが、今では、

いや、今がいちばん若い
と思っていて、それが心地いいです。
この記事では
- もうこんな歳だから、と思っていた頃のこと
- そんな思考を変えてくれた人たち
- 人生の転機も訪れた
- オススメの思考「今が一番若い」
について書いています。
当サイトはアフィリエイト広告を利用しています{alertWarning}
スポンサーリンク
「もう年だからあれもこれも出来ない」という思考に陥っていたときの私の状態とは?
若かりし頃は、少しくらいはみ出した道を選んでも、

これが私の選んだ道だから
と思えたものでした。
人生、一年くらい立ち止まっても大丈夫だろう
そう思って、決まっていた大学院進学の道をやめて、フリーターを一年間したこともあります。
友人たちには、よく出来るねと言われたものです。
浪人だって一年したし、はみ出すのはそうこわくなかった。
そんな私でしたが、年を重ねると「あれもこれももう出来ない」という思考に陥いるようになりました。
どんなことで、
もう今さらこんなことなんて
と思ったかというと。
- 今さらアメリカへ行くなんて
- この服はやめた方がいいかな、見た目なんてもう気にしなくてもいいかな
- 今さら何かをはじめるのは、もうムリと思う
こんなことでした。
① 今さらアメリカへ行くなんて
30代前半だった頃のお話です。
社会人として何年か過ごした頃。今は亡き友人に、唐突に、

アメリカへまだ行きたいと思ってる?
と聞かれました。
とっさに出てきた言葉は、

うん
その言葉に、自分自身もびっくりしました。
え、行きたいと思っているんだ
正直、その頃の生活は、悪くはなかったのです。勤め先が外資系ということもあって、それなりのお給料がもらえていました。
仕事的には、もう先は見えてきているかな、と少し感じるようになっていましたが、安定した生活というのは何にも代えがたいものでした。
せっかく親にも安心してもらえるようになったのに、また自由な自分に戻って心配をかけるのか。
もう30歳も過ぎたというのに、私は何を考えているのだろう
そう思うと、アメリカへ行きたいと答えた自分にびっくりしたものの、日々の忙しさにかまけて、自分に問うのをやめました。
② この服はやめた方がいいかな、見た目なんてもう気にしなくてもいいかな
服を選ぶのって楽しいんだ、からの…

いろんな服を着てみるのって楽しいなー
と思うようになったのは、私はとても遅くて、学生時代が終わる頃でした。
私服の期間は長かったんですが、自分ではどういう服が似合うのか、好きなのか、ずっとよく分からなかったのです。
言い訳になるかどうか、学生時代は女子があまりいない環境。まわりから服装の刺激を受ける、ということもなくて。
ところがあるとき、とあるお店に買いに行くようになってから、服を選ぶのがどんどん楽しくなりました。
自分では選ばなさそうな服をオススメされて、試着してみたら意外とよかったりして。
そのうち、そのお店ではなくても、オススメを教えてもらわなくても、自分で選ぶのも楽しい、と思うようになりました。
とはいえ、社会人になって自由に使えるお金が増えてからも、がっつり服装にお金をかけるというよりは、飲み代に使いたいタイプ。
なので、流行りの服を、ワンシーズン着るために安めのお店で買ったり。そんな程度ですが、少しは気にするようにしていました。
こんな歳にもなって、と言われたお話
ところが。
たしか30歳になる頃、親から、
こんな歳にもなって
と言われる事件が起こります。
えーわたしはかわいくて好きだと思ったんだけど
そのとき着ていたのは、裾にちょっとヒラヒラが付いている、グレーのニットスカート。大人しめのヒラヒラとか、大人しいピンクとか、それくらいならまだ許されるかなって思っていた頃でした。
そうか、こればダメなのか。。
仕方がないので、幸い取り外しのできるタイプだったヒラヒラは、取ることにしました。
そのとき思い出したのは、予備校にいた、ピンクハウスの服を着ている先生。
当時の先生がおいくつだったか分かりませんが、私は気になりませんでした。すごく好きそうだし、似合っているし、いいんじゃないかなって。
でも、世間からすると、気になることだというのは理解していました。
きっと、そういうことね
と悟ったわたし。
そしていつしか、
このデザインは私には若いかな、この色はやめておいた方がいいかな
などと、以前にも増して気にするようになりました。
むしろ見た目なんてもういいかも
そして、30代後半。アメリカで何年か暮らしているうちに。
こちらには、本当にいろいろな服装をしている人がいます。きっと流行とかもあるんだろうけれど、それとは関係ない世界で生きている人の方が、むしろ私には目に付く生活。
ということもあって。
いやー、びっくりするくらい、まわりの目どころか、服装そのものをあまり気にしなくなってしまいました。
気にしなさすぎて、日本へ一時帰国するときには、あれ?これではひどすぎるかな?と。慌てて服を買いに行ったこともありました。
③ 今さら何かをはじめるのは、もうムリと思う
そしてアラフォーになり、
もうこんな歳だし
キャリアの問題です。
アメリカへきて、生活環境がずいぶん変わりました。過去の自分を振り返る時間を持つことができ、それを踏まえて、今後の生活について考えるようになりました。
その過程で、私は、キャリア・仕事に関する考え方が変わってきました。単純に、日本でしていたような仕事をこちらで探すのは、今となっては違うかもしれない。
だからといって、アラフォーにもなって、キャリアを一から始めるのか…
どうしても踏ん切りがつきませんでした。
「もう年だからあれもこれもできない」という閉塞感があった私を変えてくれたきっかけとは?
そんなわけで、これまでのところ、自分の人生について、服装について、キャリアについて、
「もう年だからあれもこれもできない」と思っていた頃のお話を、書いてきました。
アラフォーになった今では、こういう閉塞感を感じていません。
どうして思考が変わったのか、というと…
お年寄りの言葉や存在がとても大きかったです。
私が影響を与えてもらったと思っている人は、次の3人です。
・自分の祖母
・外国人のおばあちゃん
・お会いしたことはない日本人の方
ここからは、そんな方たちのエピソードについてご紹介していこうと思います。
①私の人生を変えた91歳の祖母の言葉とは?
この話をするのに、祖母のことは欠かせません。
祖母とは、社会人になってからの方が、いろいろと話すようになりました。なんてことはない話をすることの方が、圧倒的に多かった、と記憶しています。
そんな祖母は、私が30代の頃に亡くなりました。自分はアメリカに行きたいのかもしれない、という気持ちを完全に封印していた頃です。
祖母が亡くなったとき、人は亡くなるのだという事実を改めて実感しました。
そして、70代の人のことを

私からしたら若い若い
って笑って話していたのを思い出したのです。
私にも、

まだまだ若い、なんでもできるよ
と節目に言ってくれたことも。
3◯歳、今ならまだアメリカへ行けるのではないか。遅いのは確かだけれど、さらに5年後に行くよりは、今の方が早い。
そんな気持ちがじわじわ湧いてきました。
実際に決断するには数ヶ月かかりましたが、決断する際には、とても大きな力をもらいました。
もう30代だし、ってずっと感じていましたが、

90歳の人から見たら、30代なんて、きっとめちゃめちゃ若い
そう思って。
決断してからは、早かったです。祖母が亡くなってから、半年後くらいには渡米しました。背中を押してくれたのかなと思っています。
②97歳外国人おばあちゃんのファッションから得た気づきとは?
本当に97歳?
もうこんな年だから、と、服装のことについても書きましたが。これについて考えを変えてくれたのは、アパートの同じフロアに住む、白人のおばあちゃんです。なんと今年97歳らしいです。
私は、もうそんなにお年なんて、
本当かあやしいなぁ
と半信半疑でした。いつもしっかりしてらっしゃるし。
ところが、彼女が今年、ケガをして少し入院したときに、必要なものを病院に届けた別の住人が、「彼女97歳だって、信じられない!」と夫にテキストしてきたので、本当なのかなぁと思って。
話は逸れますが、アメリカでは歳の話はしない、と聞いてアメリカへ来たのに、
意外とするときもあるんだなぁ
と思います。私自身の経験では、それなりに親しくなってくると、聞かれることもある感覚です。
信じられない理由
話は戻って、97歳なのが信じられない理由はいろいろありますが、、何より、彼女は本当におしゃれなのです。高いものかどうか、私にはそういう見る目はないので分かりませんが、いつ会っても、とてもキレイな格好をしています。
あ、キレイという表現があっているかどうか。別にパーティーに行くような格好をしているわけではありません。ジージャンを羽織っているのを見かけた日もありました。それも、とても似合っていました。
ジージャンに限らず、いつも、何を着ていても似合っているように見えます。お化粧もいつもきちんとされていて、でも、決して派手ではなくて。
彼女は美人さんなので、何を着ても似合うというのもあると思いますが。それを横に置いても、彼女の自分らしさ、があるのかもしれません。
若さの秘訣と素敵なところ
ここに引っ越してきて、彼女と話すようになってから、

自分で、自分に、歳だからという制限を設けなくてもいいんじゃないかな
いつになっても、こうしてオシャレを楽しむって素敵だなぁ
と思うようになりました。
それに、今日は何を着ようかな、って毎日楽しく考えるのも、彼女の若さの秘訣なのかもしれないなと思って。
そういえば、昨日、家の前で話しかけられた知らない白人のおばあさんも、ふと爪を見ると、かわいい落ち着いたピンク色のマニキュアをしていました。
どうしても、人の目って気になってしまいますが、そんな人もいるんだな、と心に留めておこうと思います。
子育て中は、子どものことが第一になりがち。服だって、
自分の服より子どもの服を選ぶ方が楽しい
と思うようになりました。でも、そんなことを言わないで、いくつになっても、少しくらい自分のことも構っていきたいものです。
余談になりますが、同じフロアのおばあちゃん。きっと覚えにくいであろう日本人の私の名前を、どうにか覚えようと頑張ってくれて。そのがんばりが、
幾つになってもすごいなー
と思っていました。
何かの際にカードをお渡しした後は、カードを見て名前を覚えてくれたのでしょう。それからはいつもちゃんと呼んでくれるようになりました。
もう歳だからムリだわ、とか思わないんですね、きっと。気持ちが若くて素敵です。そんな姿も尊敬しています。
③『100歳だからこそ、伝えたいこと―健康と生き方の秘訣を語る』の著者が教えてくれたこと
100歳の方の言葉たち
そして、仕事について。
自分にできることは何もない、今さら何が出来るというのだろうか
と、どん底の思考に陥っていた頃。
『100歳だからこそ、伝えたいこと―健康と生き方の秘訣を語る』という本を読みました。以前、杉山愛さんがこんな呼吸法をしている、という記事でオススメされていた本です。(例えばこの記事でも書かれています)
長い間世界で戦われて、その頃も今も笑顔が素敵な人という印象の杉山愛さん。
そんな方がしていた呼吸法ってどんななんだろう
という興味があって。
それで、呼吸法について知りたくて読み始めたのですが、そのときの私にはむしろ、こんな言葉たちが強く印象に残りました。
若い人(五十代、六十代も、わたしにとっては子どもどころか孫に近い年齢なのです)
30代、という壁を乗り越えたつもりだったけれど、アラフォーの壁をまた感じてしまっていた私。
100歳の人からみたら、60代の人だって孫のように若いんだったら、

私なんてもっと若い!
この本を読んで、またそう思うことが出来ました。
一瞬の百年でもあれば、永遠のような百年でもありました。
百年も一瞬のようだといいました。しかし、その一瞬一瞬こそが大切なのです。
「いま」を確実に積み重ねて一日とし、一年とし、百年としていく。そういうふうに生きていく他に人間にはすべがない。
一瞬のような長いような人生。
確かに、アラフォーの今、なかなか手が出せないことってたくさんあるように思います。だけど、
たとえ新たなことでも、自分にできることはあるかもしれない

今からでも、自分なりに何かを積み重ねていけばいいかな
年配の人の言葉って、何より、やっぱり重みが違います。年配の方が人生について語ってくれる機会が、もうあまりないので、こうして本という形で読めるのはありがたいと思いました。
本のこと
ちなみにですが、
- 肝心の呼吸法
- この著者による丹田の位置の解釈
- 著者の前向きな言葉たち
も、とても参考になりました。
老眼の進行もきわめて遅く、普通の本なら、今でもメガネなしで読めます。
こんな驚きの情報まで。
若干クセのある方だったのかもしれない、という気持ちもなくはないですが、それを越えるありがたい言葉がたくさん書かれている本でした。
それに、先ほど書いた、同じフロアの白人おばあちゃんにも共通すると思ったのが、気持ちの大事さ。きっと、二人とも気持ちがとても若い。そんなところも見習いたいものです。
「現在が一番若い!」行動してみてよかった、と思うこと
いろいろと書いてきましたが、

もう年、ということもないんだ
今が一番若いんだから
そう思って行動してよかった、と思うことは、と聞かれたら。
今のところは、思い切って渡米したこと、が答えです。
人生の転機だったと思っています。
そのうち、思い切って新たなキャリアを始めたこと、と言えるようにもなりたい
もう年だから、とあきらめていたら、今の私はありませんでした。あの頃は、30半ばくらい。今となっては、若かったと思えます。

だから、やっぱり、今が一番若い
渡米しなかったら悩まなくてよかったことも、あるとは思います。言葉の壁も感じるし、国や文化の違いを考える機会も増えたし、こんな状況でなかなか日本に帰国できないし。
だけど、それ以上に、やっぱり行動してよかった。渡米してやりたかったことは結局出来ませんでしたが、生涯、思い切って渡米していたらどうなっていたかな、と思うよりは、私にはよかったんじゃないかな。よくよく考えたら勤めていた会社は外資系だったこともあって、あの安定がいつまで続いていたか分からないですしね。
それに、結果論になりますが、一緒に生きていきたいと思う人にもアメリカへ来て出会いました。そして、思いもよらなかった人生を過ごしています。これも悪くないなって思うのです。
あなたの閉塞感を取り除くときに試してもらいたい方法
そんなわけで。
もう歳だし、あれもできない、これもできない
と思ったときには、
年配の方からの視線を、自分に対して持ってみる
ことを、ぜひオススメしたいです。
年配の方が身近にいないと、どうしてもこういう視線を忘れてしまいませんか?私はそうでした。
だけど、逆に考えてみると。例えば自分がアラフォーだったら?大学生の人を見れば、

まだまだ何でも出来るよ!
って思ったりしないでしょうか。
生まれたての子どもを見たら、

この子には可能性しかない
って思うのではないでしょうか。
そうやって、人に対して思えることを、自分にも当てはめると、想像しやすいように思います。
何か考え事をするときや決断をするときには、
- 祖父母から見たら
- 『100歳だからこそ、伝えたいこと―健康と生き方の秘訣を語る』の作者の方から見たら
- 例えば90歳になった自分から見たら
自分のことをそんな視点から見る。というのをぜひ試してみてください。
まとめ
もう年だから
あれも出来ないこれも出来ない
そんな閉塞感を感じていても。人生、どうなるかなんて分かりません。

もう年だからという理由だけで、何かをすることを最初からあきらめてしまうのは、もったいない
と、自分の経験から思うようになりました。
もちろん、節度や、自分で決めたんだという責任も、必要だとは思いますけれど。
違う視線から自分を見ることによって、人生の何かが変わった人が、少なくともここに一人。
同じようなことを、こんなふうにつぶやいている人も。
もう若くない、と思っていた時期があったんだけど、看護師の友人に「30代は病院の基準でいったら超若者!今は70でも元気いっぱい!75くらいから弱ってくる!85過ぎたらそろそろ年寄り!」というようなことを言われ、それ以降「もう年だ…」と思っても「でも病院基準では超若者だし…」って思い直してる
— もりなが (@mmk00) November 6, 2020
年齢を気にしすぎず、

今が一番若いんだ!
私自身は、そう思うことで、より心地よく日々が送れるようになりました。
一度きりの人生。いくつになっても、最初からあきらめないで、何か方法はないだろうかと考える。
考えなくても人生だけど。考えるのも、それもそれで人生ではないかな、と。
閉塞感に陥っても、思考を変えて。
小さなことでも何かを変えていくことによって、日々が、人生が、変わっていくと信じています。