『真っ赤なウソ』養老孟司 (著) という本を読んでいたら、『藪の中』芥川龍之介 (著) の話が出てきました。
そこで気になり、ネットの青空文庫で読んでみました。
恥ずかしながら、黒澤明監督の『羅生門』を多分みたことがないんです。
日本人としては、やっぱり見ないとね、って言いながら、はや何年。。
今年は見れるかな
『藪の中』は、その映画の元になっている本なのだそうです。
思ったより短いお話でした。
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真相はやぶの中…
例えば、この物語のような出来事が実際にあったら。
今の時代だったら、証拠を分析して、ある程度「真相」のようなことは分かるのだろうけれど、などと思ってしまいました。
CSI などのドラマを見ていた影響ですかね
それでも、やっぱり、時代が追いつかず、真相はやぶの中、そんなこともあるのだろうし。
分析して分かったつもりでいても、本当は違うんだよ、そんなこともあるだろうし。
ことによっては、「真相はやぶの中、それでいいんだ」ということなんかもあるのかもしれません。
また、誰の話を真実として受け取るのか。
受け取り手によっても、”真実”は変わることになる。とも言えるのでしょうか。
それは、今の時代も何も変わらないですね。
自分のことで考えてみた
この物語を読むと、
欲に負けて付いていかなければ、そもそもこんなことが起こらなかっただろうか。
それぞれの証言は、誰のために、なんのためにしているのだろうか。
証言の中にあらわれる、言葉がないために錯綜する思いのはがゆさ。
犯罪の残酷さ。
そんなことを考えて書くのが、まっとうな感想なのかな、と思います。
だけど、今回は「真相はやぶの中」という部分に焦点を当てて考えました。個人的にタイムリーな話題だったので。
やぶの中と自分
ニュースを見たり、自分の周りの人と関わったりする中で。
あの人は、「どうして、こうしたのかな」「なんで、ああ言ったのかな」と、ときどき、考えます。
ときどき、というより、わりと、かもしれません。
で、あんな事情やこんな事情があったのかもしれない、とか思って。
(思える時もあるし、思えない時もあるけど、ひっかかった時はなるべく考えて、事情を想像するようにしてます。気になる性分なのもあるし、たぶんヒマなんです。そして、自分なりの今後の対策にもなるから、という自己防衛の側面もあります。)
その時に。
事情を想像しつつ、基本的には、もちろん本当のところは私には分からない、と思っている(つもり)。
それはだって、この本で示されているように「やぶの中」だから、なんですよね。言葉にしてみると。
当事者だってやぶの中なこともあるのだから、第三者なんてさらに。
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決めつけない
ただ、ここで困ったことに…。
自分の中で引っかかる言動があって、あれはもしかするとこうなのかな、と考えた結果。
のちのち、私の想像が合っていたと、表にあらわれてくることが、過去たまにありました。
そういう正解?を出した自分を思い出して、うっかり、人のことを決めつけてしまいそうになってしまう時もあるけれども。
それは、最近だったんだけど。
やっぱりそういうのは、よくないな、と改めて思いました。
だって「やぶの中」だから。
それに、人のことを決めつけるなんて何様、ですしね。
その後、その人だって変わるかもしれないし。
(養老孟司さんのいろんな本によると、「人は変わるもの」だし)
だから。
決めつけてしまいそうになったことは、心のどこかに一旦置いておいて、あとはまた平静に。
やり過ごせることはやり過ごして。
でも、自分や周りの心に被害が出ないように、そこは少し気を配っていたいとは思います。
なんのこっちゃですね。
真相とそれを知ること
とにかく、とまとめてみると。
”実際に起こったことは一つでも、人間がそれを知ることができるかどうかということがじつは大事なんです。”
『養老孟司 著 真っ赤なウソ』より
結局のところ、まとめは、養老孟司さんの言葉を借りることになってしまいました。
何が本当かなんて、分からない。
知ることができるかも分からない。
受け取り方だって人それぞれ。
それは真実。
そういうことかな。
現実問題として考えると、そこから、どう折り合いをつけていくのか。
それが自分のすること、できること、すべきことなのかもしれません。
まとめ
『藪の中』、短くて深いお話でした。
物語自体の、なんというか、救いがない、言葉にできない気持ちはさておき。
起こったこと、本当のことは分からないのだから。
芯は持ちつつも柔軟な自分でありたい、と思いました。
- アマゾンのキンドル・アンリミテッド
- ネットの青空文庫
で無料で読むことができます。
青空文庫より 図書カード:No.179 藪の中 芥川龍之介
よかったらご一読ください。
*2023.02 に読みました